新しい宗教について
序文
社会について語る人間は仕事がないとかうんぬんをユダヤ教の教えみたいなやつで読んだ記憶がある 間違いない 流石歴史ある宗教 でも仏教の方が好きです
今の家のすぐ近くに新興宗教の総本山がある
毎日同じ服を着た修行僧みたいな人たちが大量の参拝客をさばいている
特定の曜日には橋がいっぱいになるほどの信者が訪れる 小さな遊園地サイズの駐車場は7~8割ほどが埋まる
大きな建物 大量の人 一体感 宗教は麻薬だと思っている 唯一の救いだとも思う 人が人「間」である以上
このニュースを見て、単純に景気が上向いたからだとは自分は思えなかった
この説の仮定には日本は民主的社会主義国であるという点がある
もしそれが崩壊寸前まできているとする(実際にはkonmai)
革命は起きない では何を変えるか 個々人の考え方だ
日本人はなんだかんだいって宗教みたいな物が大好きだと思っている より正確に言えば観念とが概念とか抽象化したワード、テーマとかが 新しく言葉を作ってそこに雰囲気を混ぜたりとかしすぎ
精神論とかメンヘラみたいなワードだったりとかに大量の意味を詰め込もうとしてるのが凡例です 妄想が激しいんだと思う むっつりスケベ性とでもいうか
何が言いたいかというとこういったワードに自己を所属させて安心させるっていう手法が当たり前になったのでは それってある意味宗教では っていう事です
所属先に納得する(もしくは納得せざるを得ない)状況になればそれ以上満足も不満足もない 所属先のワードを言い訳(マイナスな意味はないです)にして現状を説明できて、その理由も簡潔になるから
悪くない流れだと思う ただ安直な言葉の力にコントロールされて現状から落ちていかないような状況判断さえできれば できねえんだけどな(5分
感想
何をいまさら論 また知識の無さをひけらかして時間を無駄にしている