合言葉的会話
大学には友達がいない
知り合いはいる すれ違ったら会釈する程度ですが
バイトを辞めてしまったので今は高校時代の友達か彼女とラインするぐらいしか日常的な人とのコミュニケーションがない
今週はまだ一言も発していない 客観的に考えてやばい 齢22である。
高校時代の友達とは何も考えずにコミュニケーションがとれる ありがたい いろいろと面倒なので
そのなかでも「俺脇臭いわ」「反省して」と「ちちちさくさく」みたいな合言葉的な会話があります
「ちちちさくさく」についてはもう5年は使っている
「反省して」は今年の夏にできた新作、堂々のローテーション入り
お互いにもう特に話すこともない
でも何らかのコミュニケーションはとりたい
もはやソフトなセックスなのでは といった感じ
ちなみにここ2~3年の高校時代の友達の間でのブームは筋肉、パワーです
そろそろ別のステートメントを考える必要があると感じています
風邪をひきました
朝起きた時から悪寒とだるさがひどかった
コーヒーでバファリンを流し込んだ
教習所に行くが雨で送迎バスが遅れ、代わりの時間を取ってもらう
待っている間もきつい
気を紛らわすために教習所の周りを散策する
軽い雨にうたれながら日本で一番頭がいい大学の院の周りをうろちょろする
全員頭がよさそうな顔をしている つらい
車に乗っている間は気がまぎれる
車の免許を取ってもあまり気ごころを知らない人を助手席に乗せたくないなとずっと教習を通じて思っている 近すぎる
学科はエアコンの寒さと節々の痛みと悪寒でひどかった
どうも体調が悪いと元から悪いメンタルがさらに沈んでいく
嫌いじゃない 心身が一致していくようで ふっと消えられそうになるので
しかし生きていかなきゃいけないし不便なので今日はもう寝ます おやすみなさい
禁煙しようとした話
タバコは乳離れできていない人間、ジャンキー予備軍、予測のできないバカが安直に精神安定を求める為に吸っていると思っています
私も喫煙者ですが
最初はキャスターとか吸ってたけどメンソールしか吸えなくなってしまいました
うまい
ただやっぱり精神的、肉体的負荷がかかることはわかる
一日何も食べずにタバコとコーヒーだけで過ごすと体中からクソみたいなスメルがまとわりつく 生きててごめんなさいという気持ちになる
そこでニコチネルガムを買って禁煙を試みたんですね
味は普通のミントガムなんですが、しっかり噛むと噛みタバコのようなニコチンの辛さがしてきます
これがまたのどが渇く ニコチンの辛さを中和するために水を飲む→
お腹がニコチン水で調子が悪くなる→
気分が悪くなる だめだ となるわけですね
恐らく噛みすぎていると思うのでもうちょっと調整できるとは思いますが
今は教習所に通っているのでが、教習所のおっさん方からくるストレスに耐えられずなんだかんだ紙巻タバコをやめられずにいます
多分これからもしばらく学校始まったりしたらストレスにさらされ続けると思うのでやめるタイミングがなさそう
メンタルが弱い事を再確認しました というお話でした。
新しい宗教について
序文
社会について語る人間は仕事がないとかうんぬんをユダヤ教の教えみたいなやつで読んだ記憶がある 間違いない 流石歴史ある宗教 でも仏教の方が好きです
今の家のすぐ近くに新興宗教の総本山がある
毎日同じ服を着た修行僧みたいな人たちが大量の参拝客をさばいている
特定の曜日には橋がいっぱいになるほどの信者が訪れる 小さな遊園地サイズの駐車場は7~8割ほどが埋まる
大きな建物 大量の人 一体感 宗教は麻薬だと思っている 唯一の救いだとも思う 人が人「間」である以上
このニュースを見て、単純に景気が上向いたからだとは自分は思えなかった
この説の仮定には日本は民主的社会主義国であるという点がある
もしそれが崩壊寸前まできているとする(実際にはkonmai)
革命は起きない では何を変えるか 個々人の考え方だ
日本人はなんだかんだいって宗教みたいな物が大好きだと思っている より正確に言えば観念とが概念とか抽象化したワード、テーマとかが 新しく言葉を作ってそこに雰囲気を混ぜたりとかしすぎ
精神論とかメンヘラみたいなワードだったりとかに大量の意味を詰め込もうとしてるのが凡例です 妄想が激しいんだと思う むっつりスケベ性とでもいうか
何が言いたいかというとこういったワードに自己を所属させて安心させるっていう手法が当たり前になったのでは それってある意味宗教では っていう事です
所属先に納得する(もしくは納得せざるを得ない)状況になればそれ以上満足も不満足もない 所属先のワードを言い訳(マイナスな意味はないです)にして現状を説明できて、その理由も簡潔になるから
悪くない流れだと思う ただ安直な言葉の力にコントロールされて現状から落ちていかないような状況判断さえできれば できねえんだけどな(5分
感想
何をいまさら論 また知識の無さをひけらかして時間を無駄にしている
とりあえずヤバい課題を一回頭から飛ばしておく
自分は割と追いつめられるとどうしようもなくなってしまうタイプの人間なので(逆に追い詰められない人がいるならば是非お近づきになりたいが)
こうするぐらいしか対処法が思いつかず、とりあえず就活、その他もろもろを棚に上げている
目の前のことに集中する事ができるので精神状態はいい(同時に二つ以上の課題を進めることができない)
日々の喧騒に身をゆだねてうんぬんである
しかし、それらの棚上げにした問題は頭のぎりぎりの部分で引っかかっている 寝つきの悪い夜はそれのせいで気づいたら朝になっている(言い訳である)
棚上げにしている事でむくむくと膨れ上がっていく諸々の課題と義務と責任が、そう遠くないうちに自分を押しつぶすのをすでに知っている
あんなに気持ちが良かった音楽はもう脳を溶かしてくれない
周りの人々はずっとこんな気分で生きているんですか?そりゃ音楽も流行らねえし自己啓発ぐらいしかまともな対処療法がないよな と納得しています
生に無気力な人間がロボットについて思う事
私はいつでもロボットになりたいという願望をもっている
アナログで不規則な周期音を立てながら反復を行うロボットに私があこがれる理由は二つある。
生産され、今まで稼働してきた時間を経た周期の重み。
そして、ロボットが生産されてから壊されるまでの論理の道筋が大抵の場合一貫しているという事だ。
作るために作られ、不必要になれば壊される。そこには感情や意向がなく、ただそれを使う人の論理だけがある。
私には人間が一切の苦痛を感じずに生きようとすればそういった機械的な論理に身を任せるしかないのではと思っている。
そういう意味では、私はAI、シンギュラリティ後の社会に期待している。人間性の廃棄という意味でだ。
それは人々が対人の欲求から解放されるという「人間性の捨て」を経ることで、個々の機械性を逆説的に認識すると考えているからだ。
私たち人間が対人的な欲求から解放されたらどうなるだろうか?欲求を人ではなく機械が完全に満たしてくれるようになったらどうなるか?
私が言いたいのは何も無気力であるとかいうそういった類の話ではない。いわゆる意欲的に行動する人々(以下その個々人が個人の趣向、意志を行動の原理に持っている人としてこの語を用いる)も、それが機械の倫理に包括されたときどうなるか、も含まれている(この部分は自分でも詭弁だと思う 第一私は意欲的な人間ではないからその気持ちがわからない 意欲的な人達 どうです?)(その趣向、意思は機械の論理に歯が立ちますか?勃つ!?すげぇなぁおい)
機械が行うのは純粋な論理と手順の反復である。それが私たちの全ての欲求に沿うよう、しなやかに、ぴったりと合う形での動作になったとき、私たちは人間としてその論理を受け入れられるだろうか。既にそれは欲求を生産する機械になるのではないか。生活周期、社会的ポジションにのっとって必要となる業務の遂行、文化における通過儀礼とそれを促進させる機構。私たちは人間から機械になる間の時代にいる。生まれる時代を300年間違えたと思っている。前後は問わない。飛ばしてくれ。前ならこんなことは考えずに畑を耕すし、後ならおれはゆっくりと本を読みたい。(10分ぐらい
(反省)
言葉の定義の仕方が糞だ 本を読みます
いわゆる1dayインターンに行ってきました
SIerです
色々質問したかったが無理でした 緊張した 今はすごい後悔している 次に生かしたい たくさん話そうと思う 初めてのインターンだったからという言い訳が思いついたがそういう事ではないと思う 私は回避性人格障害だという言い訳だけが脳内をぐるんぐるんしている あぁ^~たまらねぇぜ
内容は業界説明とグループワークの二本立て
いわゆるメー子、ユー子、独立系うんぬんの話
その企業が特化している業界は他のITを用いてどうこうする業界と比べれば規模が大きいという話
そこで業界別の従事者と産業規模のグラフを見て思ったんですけどIT業界って従事者の割に産業規模小さいような 自分がそこに突っ込む気なのでなんとも何とも言えませんが
いわば接待のような空気 昼食会は唯一コミュ力溢れそうな金融系志望の方以外は基本的にしゃべらず現役社員の方が率先して話を振る→ちょっと話す→静寂 の流れを繰り返していました
自分は弁当を食べながら質問を練っていたが「これ別に聞くまでもなくないか 前提知識が間違っているのでは」という疑念をぬぐえずに質問できず これはすごい後悔 今あの社員の方のラインがわかったら鬼連投したい 次に生かします
後半はグループワーク 意見がまとまらず死亡 緊張した 社会不適合を強く認識した 人前で話すという事が絶望的にできない 声が震えて脳みそが縛られる感覚 薬に頼るしかないかと思いました
社内の雰囲気はとても良く、自分なんかがこんなところで働けるのかという考えに囚われ本当に貴重なお時間をいただいてしまい申し訳ないな という感情しか湧きませんでした 志望度は上がりましたが自分では能力不足だと思います 日本語もおかしいアンケートを書いて退散 グループワークで一緒になった方、社員の方々、すべてのみな様、本当に申し訳ありませんでした
結論 超絶コミュ障は行った方がいい 身の程を知れる